気づいた人からきれいになれる。

NEW2019.4.18

第1回

出稼ぎ生活5年目にして思う、
地図なき道を行く自由と孤独
その3

life style

文・小島慶子

 多文化社会のオーストラリアには、世界中から人が集まっています。母国では医師や記者などの専門的な仕事についていた人でも、英語力が十分でないと全く違う仕事で食べていかねばなりません。大人になってからでは、学校に通っても限界があります。
 私たち夫婦もバイリンガルではありませんし、夫は主夫、私は日本でしか仕事がありませんから、我が家は豪社会ではとても脆弱な存在です。マイノリティの孤独と不安を日々味わっています。
 その点、子供たちは違います。小3と小6で引っ越してきた頃は自分の名前を言うのが精一杯だったのに、たった4年で友達と遊ぶのも勉強するのも不自由なくこなすようになってしまいました。今や買い物をする時に早口の店員の言っていることを聞き取れるのは息子たちだけ。通信会社でスマホの不具合を見てもらったときなんか、弾丸トークの店員のいうことを全て翻訳してくれてとても助かりました。最近は兄弟の会話も半分以上英語です。子どもは生き残るために環境に順応するようにできているのだなあとつくづく羨ましいです。
 私は自分が英語で不自由な思いをしてみて初めて、口下手な人の気持ちがわかりました。言いたいのに言えない、うまく表現できないもどかしさを知ったのです。人と上手に話せないと、自分なんかとるに足らないもののような気がしてきます。言葉にならない気持ちを誰かにゆっくり聞いてもらうって、とても大事なことなのだとわかりました。
 引っ越してからの4年間、夫の気持ちをちゃんと聞いてあげただろうかとこの頃反省しています。余裕がなくて、彼に愚痴を聞いてもらうばっかりだったな…と。
 出稼ぎ中は、家族とつなぐテレビ電話が何よりの楽しみです。時差は1時間しかありませんから、 iPadで繋げば、一緒におしゃべりしながら夕食も食べられます。食後は私が原稿を書いている横で中1の次男が宿題をやり、次男がシャワーに入ると長男の部屋に移動して、息子たちが寝ると夫のデスクに移動という具合に、部屋を転々とします。みんな忙しい時には、リビングに端末を置いてもらうのです。家族の気配を感じるだけでも安心できますから。
 ときには夫や息子が「今日はいい天気だよ」「月がきれいだよ」と端末ごと庭に連れ出してくれることもあります。8000キロも離れているのに一緒に月を見ることができるなんて、技術ってありがたいですね。でも同時に、大好きな人を間近に見ながら、ハグできないもどかしさも感じるのです。あーあ、会いたいなあ。
 これまで何度となく考えました。たった一度の人生、子どもと一緒に過ごせる時間は限られているのに、出稼ぎなんかしてしまっていいんだろうか…ちょっとの間に彼らはどんどん大きくなって、私はいろんな大事な瞬間を見逃してしまう。だけど今はそれしか、生きていく方法がありません。自分で選んだことなのだから、家族で決めたことなんだから、 泣き言を言っちゃダメだよね。
 四十一歳で始まったもう一つの人生。これからも地図なき道を行くしかありません。
 ときどき、寂寥(せきりょう)さんに話しかけてみるのです。ねえ、あなたのもう一つの名前は「自由」ってやつ?だったら私たち、仲良くやれるかもしれないね、って。
(おわり)

こじまけいこ

1972年生まれ。エッセイスト、タレント。学習院大学を卒業後、1995年TBSに入社。
2010年退社。テレビ・ラジオ出演、連載多数。著書に小説『ホライズン』(文芸春秋社)、『わたしの神様』(幻冬舎)など。エッセイに『るるらいらい』(講談社)など。
現在は、家族(夫と2人の息子)の拠点をオーストラリア・パースに移し、日本と往復する生活。