気づいた人からきれいになれる。

NEW2019.4.18

第1回

出稼ぎ生活5年目にして思う、
地図なき道を行く自由と孤独
その2

life style

文・小島慶子

 そこで馴染みのカウンセラーのところへ行きました。
 「先生、どうにも寂しいのですが」
 来年傘寿を迎える先生は、笑ってこう言いました。
 「寂しさは、人生につきものじゃないですか」
なんと、私は一人ではなかったのですね。どんな時にも、寂しさがそっと寄り添ってくれていたのでした。これまで私が毛嫌いしていただけで。
 それは密かに予感していたことでもありました。いつか、子どもたちは巣立ってしまう。もしも想定外に永らえた時には、古くからの仲間たちがいなくなってしまう。あるいは先に行くときも、どのみち一人の旅路です。遅かれ早かれ向き合わねばならなかった生涯の友人、寂寥(せきりょう)さんに、四十五歳にしてようやく「よろしく」と言えたのですから、めでたいことかもしれません。
 人生が二つになったら、いろんな人を身近に感じるようにもなりました。
 いつも行く日本のスーパーのレジに、東南アジア出身と思われる女性がいます。マニュアル通りの上手な日本語で接客し、領収証に押してくれるハンコにはカタカナの名前。やはり東南アジア系で商品の陳列をしている男性は、私が愛飲しているノンアルコールビールを倉庫まで探しに行ってくれました。
 彼らを見るたびに、私かもしれない、と思うのです。もしも今、日本で仕事がなくなり、豪州で働いて家族を養わなければならなくなったら、履歴書に書ける資格は何もありません。スーパーの商品を並べたり、掃除をする仕事から始めることになるでしょう。
 パースの空港の行き帰りに乗るタクシーの運転手さんとの会話にも、いつも心和みます。みんな移民なので、私が日本から移住してきたというと色々と自分の体験を話してくれるのです。
 ある運転手さんは、インドの大学を卒業した後にエンジニアとしてIBMで働き、修士課程で学ぶために豪州に来た留学生でした。学校が休みの時にドライバーの仕事をして学費の足しにしています。
 彼曰く、インドでは言語が多様な上に方言も多様なので、親戚の集まりに行くと全員話す言葉が違うのだそうです。「母の村では20メートルごとに、住んでる人の言葉が変わるんだよ」と笑う彼は北インド出身で、親戚の共通語はヒンディ語。南インドの人は学校で英語を習っているから、彼らと話すときは英語を使うのだとか。
 またある運転手さんは、若い頃にソマリアの内戦から逃れて難民としてパースにやってきました。
「家では何語で喋ってるの?」
「日本語ですよ」
「僕も家族とはソマリ語だよ! 日本語と英語はうんと違う?」
「うんと違う!」
「ソマリ語もだよ! 大変だよねー」
と妙な連帯感が生まれました。嬉しかったなあ。
(つづく)

こじまけいこ

1972年生まれ。エッセイスト、タレント。学習院大学を卒業後、1995年TBSに入社。
2010年退社。テレビ・ラジオ出演、連載多数。著書に小説『ホライズン』(文芸春秋社)、『わたしの神様』(幻冬舎)など。エッセイに『るるらいらい』(講談社)など。
現在は、家族(夫と2人の息子)の拠点をオーストラリア・パースに移し、日本と往復する生活。