気づいた人からきれいになれる。

NEW2020.2.20

第6回

「きれいでいなさい」。亡き恩人の言葉が46歳の今、より深いものになった。 その3

life style

文・小島慶子

 でも時々思うのです。美しい、って言わなくちゃいけないんだろうかと。「私は美しい」と公言することによって既存の価値観を変えるのはとても大事なことだけど、全ての人がありのままの自分を「美しい」と言わなくちゃいけないと思うとそれも苦しい。例えば私は自分の薄べったくて骨ばった体を正直言って美しいとは思えません。お風呂上がりに鏡を見ると、いつもがっかりします。どうして私、こんなにみっともないガリガリなんだろう。豊かな乳房や柔らかいデコルテがあったらどんなにか人生は楽しいだろうか。
 だけど、同時にこうも思います。ま、でもこれでやっていくか。せいぜい自分が心地いいように、似合う服を着たりして、ガリガリの裸以外のお気に入りを増やせばいいよね。
 だから、もし誰かに「あなたの体は平たくても美しい」と言われても、その人はそう感じるのかもしれないけど私はそうは思わないし、そう思わないことを否定されるのも嫌だな、と思います。なんで美しくなくちゃいけないの。なんで自分は美しいと思えなくちゃいけないの。たかが「美しさ」じゃん、って反抗児のように言いたい自分がいます。
 この「なんだよ、たかが美しさぐらい」と言いたい気持ちは、もしかしたら誰もが密かに感じていることかもしれません。それを密かにしまっておける時と、つい態度に出てしまう時があるのかも。時には、自分や他人を攻撃してしまうことも。
 私も20代の頃、自分で望んでついた仕事であるにもかかわらず、人気や見た目を比べられる仕事が嫌になって「なんだよ、たかが美しさぐらい」を態度で示したことがあります。すっぴんに真っ黒に染めた短髪、ごついワークブーツにダボダボのワークパンツ、迷彩柄のフリースにリュック。いわゆる「若手女子アナ」らしい見た目とは程遠い格好で、大股でガサツに歩き、座るときは足を広げ、乱暴な言葉遣いで下ネタを連発。気分爽快でした。当時はそんな自分がすごく気に入っていたのです。でも、心の中は憎しみでいっぱいでした。こういう若手女子アナを評価しない世界を呪って、呪って、みんな死ねばいい、くらいに呪っていました。だけど、美しさだけで人を評価しない人は当時だっていたのです。ラジオの仕事やリポーターの仕事では褒めてくれる人はちゃんといました。誰よりも「美しさ」に囚われていたのは私だったんですね。美醜に価値を置く人たちに、認められたかった。認めてくれないからグレた。そうでないものに価値を置く人たちが、ちゃんと私を見てくれていたのに、その声を過小評価していたんです。「きれいでいなさい」という恩人の言葉は、46歳になった今、より意味深いものになりました。それは、喜びをもって自他に向き合う人であれ、ということなんじゃないかと思うのです。
 肌の調子がいいと嬉しい、似合う服が見つかると嬉しい。友達とおしゃべりしたり家族と過ごしたり、人生を楽しめる瞬間がある。新しいことを知る喜びも、好きなものを見たり聞いたりする喜びもある。中年になってから、自分に喜びを与えてくれるものに対する感謝の気持ちが強くなりました。いろんな経験をして自分一人で自分を幸せにすることはとても難しいと気づいたから。空も海も、目に映るすべてのものが天恵なんだなって素直に思えたからです。
 夏が来るたびに、きちんとお別れが言えなかった恩人のことを思います。きれいでいるって、感謝する人であれっていうことだったのかな。伝えられなかった有難うを繰り返し思う8月です。

こじまけいこ

こじまけいこ/1972年生まれ。エッセイスト、タレント。学習院大学を卒業後、1995年TBSに入社。2010年退社。テレビ・ラジオ出演、連載多数。著書に小説『ホライズン』(文芸春秋社)、『わたしの神様』(幻冬舎)など。エッセイに『るるらいらい』(講談社)など。
現在は、家族(夫と2人の息子)の拠点をオーストラリア・パースに移し、日本と往復する生活。