気づいた人からきれいになれる。

NEW2020.3.2

第7回

好きな人を無理やり探すくらいなら、いっそもう一度、全部の恋をやり直したい。 その3

life style

文・小島慶子

 好きな人を無理やり探すくらいなら、いっそもう一度全部の恋をやり直したい。昔、私がまだ子持ち鯨生活に適応する前の、恋の原野を裸足で走り回っていた頃の壊れやすくてキラキラした、いろんな瞬間があったのに。広い世界を見せてくれた、あの懐かしい人たち。随分邪険にしてしまったし、震える言葉をちゃんと聞かなかったし、わざわざ台無しにしたことも、お芝居で誤魔化したこともあった。あまりに若すぎた……もっと丁寧に、大事にすればよかった、何もかも。もしもできるなら、18歳の最初の恋から全部、やり直したいな。こんなことを思ったのは初めてでした。ちょうど夜のフライトの暗い機内で一人、大橋トリオを聴いていたせいでしょうか。過去の恋人への未練とも違う、郷愁みたいなもの。もうみんな、会う理由もない人たちだもの。
 きっとこれは恋の供養です。野ざらしになっていた過去の別れを、拾って洗って一から思い出して、きちんと箱詰めして送り出したい。それが全部終わったら、多分もう、恋ができなくて寂しいなんて、思わなくなるんじゃないかしら。
 それにしても、どうしてこんな化野(あだしの)みたいなところまで来ちゃったんだろう。本当に誰かを好きになったことなんて、もしかしたら一度もなかったんじゃないかという気もします。ただ寂しかっただけで、それを埋める人が欲しかっただけで。今私が知っている「好き」は、もうすぐこの腕の中から出て行こうとしている息子たちに対する祈りのような気持ちだけ。原野で出会った見知らぬ誰かに情欲も清廉も全て捧げるような出会いは、ついぞ知らずに終わるのかもしれません。
 ラテンの国から来た彼女も、この20年でいろんな思いをして、もう男なんかいらないと言っています。「こうなったら、次は女かな!」
 というのを聞いて、おお、その可能性もあったかと目の前が明るくなりました。
 恋人になるかどうかはともかく、人生の後半は気の合う女友達と過ごすのも悪くない。この頃ようやく私もシスターフッドなるものがわかって来た気がします。同じ痛みを知るもの同士は、言葉なんかいらない。傷だらけの鯨が身を寄せ合って生きるのも、悪くないのかも

こじまけいこ

こじまけいこ/1972年生まれ。エッセイスト、タレント。学習院大学を卒業後、1995年TBSに入社。2010年退社。テレビ・ラジオ出演、連載多数。著書に小説『ホライズン』(文芸春秋社)、『わたしの神様』(幻冬舎)など。エッセイに『るるらいらい』(講談社)など。
現在は、家族(夫と2人の息子)の拠点をオーストラリア・パースに移し、日本と往復する生活。