気づいた人からきれいになれる。

NEW2020.4.10

第8回

古い男友達が父親になって考えたこと。 その2

life style

文・小島慶子

 でもそんな胸の内のどこを探してみても、彼という男への切ない思いは湧いてきません。めちゃくちゃいい奴だし、きっといい夫になるだろうし、いい父親になるだろうし、人間としてもとっても信用できそうなんだけど、なぜ。
 彼が欲しいのではないのですね。彼との間に営めたかもしれない生活に対する「ありかも」なんです。私にとって結婚とか子供を持つことが、パートナーへの異性としての執着とは別の次元の問題であるということが浮き彫りになったのでした。
 尊敬できて、穏やかで、丁寧な生活が送れる相手であれば、結婚生活は幸せなんだと思います。現在の生活も、息子たちは可愛いし、家族の間には慣れ親しんだ穏やかな空気が流れているのだけど、夫への尊敬の部分に深い深い傷がついてしまいました。それって結構リカバリーが難しい、と日々感じている中で、古い友達が父親になったことがこんなにも胸を揺さぶるとは。
 いや、待てよ。私は夫のことは18年も一緒に過ごしてきて知りたくないことまで知り過ぎてしまったけど、夫だってきっとよそから見たらかなりいいやつなのです。ということは、この男友達も、至近距離で年単位の付き合いを続けたらきっと、闇や汚れが見えるはず。向こうにだって私の浅ましい本性が見えてしまうに違いありません。どんなにまともそうに見える人間でも欲望や愚かさは抱えているもの。そもそも結婚して家庭を作るという関係が、人を幸せにしないのかもしれないとすら思えてきました。
 じゃあ、私にとって幸せってなんだろうと、さらに厄介な領域へと思考は流れて行きます。息子たちのじゃあ、私にとって幸せってなんだろうと、さらに厄介な領域へと思考は流れて行きます。息子たちの存在は全面的に幸せそのものなので疑問の余地はありません。でも夫は違う。両者の違いはなんでしょう。もしかしたらそれは、あらかじめ許しているかそうでないかなのかもしれません。
 息子達は、初めは超音波画像に映る白い塊でした。それが人体になって、赤ん坊になって、人格を持った一人の人間になるさまをずっと傍で見てきた私にとっては、思春期を迎えた彼らの中に私の知り得ない欲望や暗部があるだろうことすらめでたいのです。それは紛れもなく彼らが細胞の塊から心を持った人間になった証であり、その心は誰にも侵すことのできない尊厳の中に実る果実なのです。親といえどもそこには手を触れることができないし、誰にももぎ取らせてはならない命そのものです。その同じ眼差しを、私は一度でも夫の魂に向けたことがあるだろうか。いいえ、ないのです。

こじまけいこ

こじまけいこ/1972年生まれ。エッセイスト、タレント。学習院大学を卒業後、1995年TBSに入社。2010年退社。テレビ・ラジオ出演、連載多数。著書に小説『ホライズン』(文芸春秋社)、『わたしの神様』(幻冬舎)など。エッセイに『るるらいらい』(講談社)など。
現在は、家族(夫と2人の息子)の拠点をオーストラリア・パースに移し、日本と往復する生活。