気づいた人からきれいになれる。

NEW2020.5.11

第9回

母や姉の言葉に縛られていた自分。40歳で脳内家族は解散しました その1

life style

文・小島慶子

 人と関わるって、その人が自分の思考に参加するようになるということだと思います。ちょっと硬いかな。柔らかくいうと、その人みたいに物を見る習慣がつくということ。
 かつて私の思考にはことごとく、母と姉が参加していました。何かをしようとすると、頭の中の母や姉がいいんじゃない?と言ったり、ダメ出しをしたり、鼻で笑ったりするのです。自分で考えて何かを決めているようで、実は自分の気持ちがよく見えない。本当はどうしたかったのか、あとで考えてもわからなくなってしまうのです。
 例えば服選びなんかそうでした。私は30代になるまで私服の趣味が壊滅的だったのですが、それというのも派手好きな母とバブルの申し子の姉の趣味が入り込んでいたから!母は60年代や70年代に派手なプリントの服を着ていたためか、一風変わった柄の服をよく着ていました。それはそれで似合っていたのですが、私もつい「普通ではいけない」と思って突飛な柄を買ってしまう傾向にあったのです。
 加えて、バブルを謳歌していた9歳年上の姉からはバブリーなお下がりが与えられました。原色のタイトスカートとか、肩パッド入りのジャケットとか。 姉は自分がいらないものを妹に与えるのですが、その時にことば巧みに「これはすごくおしゃれなブランドなのよ」「これ、今流行っているのよ」と盛り上げるのです。
 おしゃれのおの字も知らない中学生だった私は、それを真に受けて日曜日に友達と渋谷に行くときなんかに着て行くわけですが、そんなお姉様ファッションは友達は誰も着ていませんから「慶子ちゃん、その色、なんか目に刺さる!」とか言われていました。
 当時の中高生の間ではミニスカートにポロシャツ、紺色のセーターやブレザーを合わせた渋カジと言われるファッションが流行っていたので、やたら派手でボディーコンシャスなお姉様ファッションの私は異様に浮いていたわけです。自分でもあれー、なんか違うなあとは思っていたものの、どこがどう「違う」のかもわからずじまいでした。
 服のセンスも含めて、そんな母と姉の呪縛の後遺症がなくなったのは、仕事を始めて実家から独立し、いろんな衣装を着たり、自腹であれこれ失敗したのち、30代後半になってからでした。ずいぶん時間がかかったものです。
 そういえば先日、25年ぶりに会った大学時代の知人に「もう、クジャクのスカートは履いていないんだね」と言われて、すっかり忘れていた一着を思い出しました。大学時代に愛用していた、紺色の孔雀の羽が一面にプリントされた膝丈の巻きスカート。一体どこで買ったのやら。久々に会った知人が開口一番それですから、よほど印象深かったのでしょう。
 思い返せば他にも、一面に鈴がプリントされたロエベの巨大なキャンパスバッグなんかも持ってました。なんで鈴?それに孔雀スカートを合わせたりしてたのですから、周りは目がチカチカしてたはず。

こじまけいこ

こじまけいこ/1972年生まれ。エッセイスト、タレント。学習院大学を卒業後、1995年TBSに入社。2010年退社。テレビ・ラジオ出演、連載多数。著書に小説『ホライズン』(文芸春秋社)、『わたしの神様』(幻冬舎)など。エッセイに『るるらいらい』(講談社)など。
現在は、家族(夫と2人の息子)の拠点をオーストラリア・パースに移し、日本と往復する生活。