気づいた人からきれいになれる。

NEW2020.5.11

第9回

母や姉の言葉に縛られていた自分。40歳で脳内家族は解散しました その2

life style

文・小島慶子

 とにかくあの頃は「普通ではいけない、何か一工夫あって人目をひくものでなければ」と思い込んでいたんですね。それは服だけではありませんでした。言動もいちいち個性的でなくてはと力が入ってしまいがちでした。
 私はもともと人見知りが激しい子供でしたが、子供の数が多い70年代にそれでは競争に勝てないと思ったのでしょう。母は普通にしていたら埋没してしまうという脅迫意識のようなものを私に植え付けました。でもねえ、もともと人見知りの子供に「目立たないと死ぬ」みたいなこと言うのって結構無茶ですよね。母も不器用な人だったので、いいやり方を知らなかったのでしょう。
 一方、9歳年上の姉は絵に描いたような才色兼備で、職場の人気者でした。私はそんな姉に憧れており、自分もああいう特別な人にならねばと思っていました。姉がいいというものは全部輝いて見えたし、実際、芸術に関する知識や色んな素敵なものを教えてくれたのも姉です。でも私は姉と違って社交上手じゃないし、要領も良くないので、空回りばかりしていました。何をやっても今ひとつで、無様だったり過剰だったり、調子っ外れな自分が嫌でたまりませんでした。
 やがて大人になり、夫と出会ってからは、頭の中の口うるさい母と姉は少しずつ夫に置き換わって行きました。夫は驚くほど前向きな人。ポジティヴな彼の眼差しで世の中を見ると、生きていくのをそんなに怖がらなくても大丈夫そうだし、自分だってなかなか悪くないぞ、と思えました。仕事でちょっと失敗したかなと不安になると、聞きなれた母と姉の声が「またそんなみっともないことして」と言ったあとで、夫の声が「上手にできたんじゃない?」と言うようになったのです。以前よりも世界が平和になり、自分をいたわってやることもできるようになりました。なんだか呼吸が楽になったような気分でした。
 ところが30歳で子供を産んだら、またもや母と姉が登場。彼女たちは子育ての先輩として細かくダメ出しをするのです。もちろんそれは私の脳の中で起きているのに過ぎないのですが、これが結構しんどかった。カウンセリングに通って子供の頃の家族との関係を整理したり、苦しい時間が続きました。そして40歳になる頃には、母や姉を自分と切り離して、同じ一人の不完全な女性として見ることができるようになり、脳内家族は解散となりました。
 ああ、これでようやく頭の中が静かになったと思った矢先、今度は夫が仕事を辞めました。すると不思議なことに、すっかり頼りきりになっていた脳内夫が、急に弱々しい存在になってしまったのです。これからは私が大黒柱として一家を支えなくては!と戦闘モードにスイッチが入ったのでしょうか、人生で初めてと言ってもいいくらい、何をするときも自分の声しか聞こえなくなりました。
 きっとあれは、ピンチを切り抜けるための脳の非常事態宣言だったのだと思います。一家でオーストラリアに引っ越し、私は日本で働くという出稼ぎ生活を始めて2年ほど経つと、頭の中の夫はごくたまにしか姿を見せなくなりました。自分で考え、自分で決めて、自分で褒めて、自分で叱る。頭の中で一人暮らしができるようになった時、「ついに私、自立したんだ」と思ったのです。

こじまけいこ

こじまけいこ/1972年生まれ。エッセイスト、タレント。学習院大学を卒業後、1995年TBSに入社。2010年退社。テレビ・ラジオ出演、連載多数。著書に小説『ホライズン』(文芸春秋社)、『わたしの神様』(幻冬舎)など。エッセイに『るるらいらい』(講談社)など。
現在は、家族(夫と2人の息子)の拠点をオーストラリア・パースに移し、日本と往復する生活。